モキチ鎌倉物語
2022年12月7日、鎌倉・長谷の大仏様にほど近い大仏坂に、モキチ鎌倉店がオープンしました。昭和初期に完成したこの歴史的建造物を譲り受け、6年の年月を経てようやくたどり着いたスタートライン。90年近い歴史とともに引き継いだこの場所にこれからどんな息吹を吹き込み、どんな歴史を刻んでいこうか。新たな熊澤ストーリーが始まります。
スクラッチタイルの外壁が印象的なモキチ鎌倉店。レストランとして生まれ変わったこの建物の風合いは、この地に長年あり続けた年月が醸し出したものです。いったいこの建物は何者なのでしょうか?
ここは元は『神奈川県営湘南水道鎌倉加圧ポンプ所』として、昭和の初期から鎌倉地域の人々に水を供給する大切な役割を担っていました。
明治27年に葉山に初の御用邸ができると、皇族や政治家、外国の要人がこぞって周辺地域である鎌倉、逗子、葉山に別荘を建てるようになりました。この地域は元々、水資源が乏しく古くからの懸案であったため、国家あげての大規模水道プロジェクトが計画されたのです。担当する神奈川県は調査の結果、丹沢山系の伏流水が豊富な水資源となっている寒川地域から引いてくる事を決めました。寒川から鎌倉、そして山の多い鎌倉から葉山方面まで水を運ぶためのポンプ所が必要となり、昭和11年に完成したのがこのポンプ所です。偶然にも熊澤酒造は寒川のすぐお隣りに位置し、酒米プロジェクトも同地域で行っています。古のご縁がながーいパイプで繋がり、私たちをこの地に運んでくれたのでしょうか・・・。現在、この一大水道プロジェクトの遺構を残すのは寒川と鎌倉のみとなり(寒川は水道記念館として当時の姿をそのまま残しています)ますます歴史的価値が高まって、4年前には鎌倉市の景観重要建造物に指定されています。
さて、この建物の入り口には「清泉露萬戸」と言う扁額が残っていました。これは、清らかな水を全ての人々へ、という意味。この地にポンプ所ができて貴重な水が運ばれたことで、人々の生活がどんなにか豊かになったことでしょう。私たちもそんな存在になれるよう思いを新たにしています!またここは、昭和35年にポンプ所としての役目を終えると40年からは鎌倉市の体育館として活用されていました。私たちの予想以上に「子供の頃にここで剣道をやった。廃墟になっていたのに、残して生まれ変わらせてくれてありがとう!」というお声を頂いています。ここが長年に渡り人々の記憶に残る大切な存在であった事を改めて感じ、それを利活用できた喜びと責任をひしひしと感じているところです。
ポンプ所には建物がある平地以外に斜面側に2カ所の平地があります。体育館時代にそこは児童遊園として親しまれていましたが、今度はそこにハーブガーデンを造りました。それはこの数年間にいつの間にか縮こまってしまった心と身体を解放してくれる場所を作りたかったから。季節ごとに様子を変えるハーブ畑で大きく深呼吸し、鎌倉の自然を味わう時間もまたご馳走の一つとしてお楽しみいただきたいと思います。そして始まったばかりの楽園造りの一部を感じていただきたいと思うのです。