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古民家移築ストーリー

モキチトラットリアが現在の姿になったのは、蔵元と昭和に活躍した実業家菅原通済の鎌倉の自邸との出会いから始まりました。その人物像とは?
またどのようにして移築は進められたのでしょう?

解体の様子

 

※熊澤が解体した建物は琢心軒と常盤山文庫

鎌倉の切り通しを上り切ると現れたのは古民家の巨大なお屋敷。その解体は3人の職人の手作業で行われました。

 

2008年、馴染みの古本屋の店主から、鎌倉に本の引き取りに来たんだけど凄いから来てみるか、と連絡を貰いました。いわゆる“蔵出し”のお誘いです。この店主にはモキチフーズガーデンの大本棚にも一部古本を収めてもらっていて、蔵元の古いもの好きをよくご存知なのです。即答してそのまま鎌倉へ急ぎ細い山道を上がり切ると現れたのはとてつもないお屋敷。使われなくなって年月が経ち、廃墟ではあったけれど本物の古民家の持つパワーに完全にノックアウトされてしまいました。それが、菅原通済自邸だったのです。蔵出しどころではなくなって、この建物は後世に残すべきだと確信した蔵元は、鎌倉市に保存の提言をしましたが結果はノー。逆に、熊澤さんが移築したらどうか?という返答でした。思いもよらぬ提案に、理不尽さに憤る一方、確かにこの貴重な建物を残すには移築しかない!と常人ならぬ古物への情熱に火が付いてしまいました。その後、数々の困難な事項を何とか乗り越えて4年後の2012年に正式に解体・移築の許可がおりました。

 

 

2013年、移築工事を開始。本来は宮大工に依頼すべき物件でしたが、あえて移築は未経験ではあるものの、地方の古民家をよく知るベテラン大工親子と鳶の親方の3人に依頼しました。敷地にあった7つの建造物から築400年近くにもなる自邸と常盤山文庫の建物を移築することに決定。他に建具、石灯籠なども運びます。余談ですが、そこに漂う並々ならぬ先人達の気配を感じ、鎮魂のため寒川神社にお祓いもしっかりとお願いした上での移築でした。

 

釘を使っていない木組みの古民家は本来何度でも移築が可能です。この建物も通済によって金沢八景などから約100年前に移築されて来たものです。手作業で木材一本一本にナンバリングし解体、大黒柱などは運搬車が山の上まで上がれないので、敷地内の崖下まで落としてトラックに積載し、少しづつ茅ヶ崎まで繰り返し運びました。そして酒造の駐車場に木材保管場所を作り保管し、次は申請作業。その間に受け入れる酒造の敷地の整備です。生まれ育った熊澤家の自宅を壊して更地にし、すぐ横にある創業当時からのシンボルの煙突は倒壊の恐れもあったので、基礎から修理してようやく着工となりました。番号に沿って組み直し、移築した2棟を組み合わせて1つのレストランにするアクロバティックな工事でした。

 

運んできた石灯籠は、裏庭の池のほとりに設置

木彫りの龍が印象的なレストラン入口は、実は文庫蔵から移動させたものです。感性を研ぎ澄ませた自由な発想で、現場合わせで現場泣かせな移築工事が計2年続きました。

 

モキチトラットリアの入口

2014年5月、蔵元の想いと匠の技が結集したモキチトラットリアが移転オープンしました。振り返るとあの時湧き出していたエネルギーは自分だけのものではなくて、先人の大きな想いを背負っていたのかもしれません。通済さんは今のモキチトラットリアを空の上からどんな顔をして見ているのでしょう。熊澤酒造がやりやがったな、と薄笑いを浮かべてくれているでしょうか。

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