熊澤酒造酒米プロジェクト始動!
何も無いドロ水の、四角く小さな土地。 初夏にしてはギラギラとした太陽が反射して、水面を鏡のように映しています。 水の中は気持ち良さそうで、田植え素人の私達が田植えをするのにはもってこいの日、まさに田植え日和。 この日、かつて時の流れで失われた自社の田んぼ1反に、苗を植える作業が熊澤酒造有志の社員たちによって行われました。名付けて熊澤酒造農業部。 もともとの田んぼは無かったので、農法や、土地そのものの繋がりも失われており、全く0(ゼロ)からのスタートです。 蔵元のかけ声とともに、泥の中に足を突っ込み、はじめは子どものように無邪気に、だんだんともくもくと、まるで以前からそうしてきたかのように粛々と苗を植え付けていく様子は、日本人のDNAが目覚めたかのように堂に入っていました。
かっぱシリーズに使われている「五百万石」という酒米から育て始めて、どういう酒米がこの土地に合うのか、土地の声を聞きながらの試行錯誤。これには「米づくりを考えたお酒づくり」という酒蔵部のプロジェクトリーダー、五十嵐哲朗のこだわりがあります。 従来であればまず味のイメージがあり、それにふさわしいお米を全国から選りすぐります。しかし自分たちでお米を作るとなると、その土地の水・土・地形などを考慮したり、そこから良さを引き出してお酒造りに向かいます。湘南ならではのお酒を造るというゴールは同じですが、原料に対する視点が変わってくるので違う世界が見えてくるのです。 そもそもお米がある地域に酒造があることが自然だったのに、現代は酒造だけが残ってしまいました。この原点に還りたい。 「水田があって酒造りがある」ことが本来の姿なのですから。 そして10年後にはこの地域のお米ですべてのお酒を造ることを目指しています。 とはいえ先程もお話したように、ほぼゼロからのスタートです。私たちだけでは右も左も分からないので、責任者として若き新規就農者、大磯で無農薬野菜をつくる、渡邉幹さん(「農太郎」の愛称で知られる)に加わってもらいました。さらに田んぼの地主さんでもある常盤さんという助っ人も登場し、地元ならではの苗の植え方の向きや、(ここでは南風が吹くので少し倒し気味に植える)隣接する農地との接し具合などを伝授していただき、なんとも心強いかぎりです。 何気ない助言にも、ここに連綿と続いてきた知恵や、この土地が稲作を今日まで続けてきた証があることを実感します。
茅ヶ崎北部のこの場所は、弥生時代から米作りが続いてきたことが史実としてわかっている肥よくな土地。冷たい泥水の中に手や足を浸していると、その土地が持つエネルギーそのものを頂いている気がしてきます。人間は長い歴史のなかで、どれほど多くの恩恵を土地から受けてきたのでしょう。 地域に田を残すということは、夏の間米を作り、冬に酒を仕込むという自然の営みをもたらす。そしてそれは動植物の命を育み、土地・河川・海にたくさんの栄養をもたらし、水害の際は保水力を発揮することにも繋がっていく・・・。今は眼にみえないかつての田園風景は、古代から連綿と続く失われてはならない原風景であり、土地のポテンシャルでもあるのです。 自社のお酒をまかなうお米の量は、この1反の300倍。今は小さいけれどここから描く未来図は、けっこうスケールがでかいのです。 きっとものすごい力を仕舞い込んでいるこの土地の過去と未来をしっかり想像して、「いま」というこの場所から、『熊澤酒造酒米プロジェクト』を始動します。
五十嵐 哲郎(いがらし てつろう)
1973年鎌倉生まれ。東京農業大学醸造学部出身。卒論に醤油醸造について書いたことから、地元での就職先を探し、熊澤醸造(株)と考え面接したつもりが、同じ茅ヶ崎市の熊澤酒造(株)に間違えて来てしまった。1995年入社し、2000年杜氏に就任し天青ブランドの立ち上げを果たす。2020年から酒米プロジェクトを主導する。
渡邉 幹(わたなべ もとき)
1986年生まれ。東京農業大学卒。大磯で若き新規就農者として活躍中。農業体験の場「大磯農園」のリーダーも務める。
農園名は「たいようまるかじり」。本人は「農太郎」の愛称で親しまれる。
達観したようにゆらりと繰りだすトークはおもしろおかしく人々を魅了する。野菜も無農薬でのびのびとした味わいで、やっぱり作った人に似るのかな、ということでとても美味しいです。