よろこびがつづいていく庭
熊澤酒造の入口のアーチをくぐると、シンボルツリーのメタセコイアの大木と、季節ごとの植物が楽しげに共存する中庭へとつながります。
敷地内にある草花たちは、船平茂生さんというひとりの庭師がひっそりとそのサイクルを守り、20年ほどになります。
今では緑豊かなこの場所も、船平さんに依頼した当時は殆ど緑がなかったのです。
明治から続くこの蔵の風景も一変していました。周囲の田園風景が急速に失われてゆくとともに近代的に無駄を省き、関東大震災後はコンクリート造りが主流の町工場さながらになっていたのです。
現在の蔵元は、25年ほど前にこの蔵を引き継いだ時、時代の波にのまれ切り捨てられようとする古いものたちを、見捨て、無かったことには出来ずにいました。
また、当時通っていた地元美容室のオーナーからも、敷地内の殺風景な様子を指摘され、その下階で花屋を営む船平さんを紹介されたのです。その出逢いから、熊澤酒造のビジュアル大改革が始まりました。
敷地内をくまなく観察すると、その植物の種類の多さと20年もの間もくもくと成長し続けるしたたかさに思わず顔がほころびます。
春から夏にかけてが花々たちの盛り。そこから秋冬にはその色を黄金色へと変化させます。それはまるで次に咲く季節のために色をその中に閉じ込めるように。そして、冬を超え2月には梅やミモザも咲き始めます。
中には、たねがどこからかやってきて自生したり、20年放置していても毎年顔を出すベルベロンの花もあり、植物達はこの庭でおおらかに共存しているようです。
庭づくりを依頼した当時、船平さんは花屋さんではありましたが、庭づくりは未経験。熊澤酒造が初のチャレンジとなりました。
初めてゆえの手探りの庭づくり。図面を引いて計画的にはつくらず、植物達の様子を見ながら20年かけてつくり続けてきました。それは庭師の仕事が完成は無くこれからもずっとつづいていくという余地を残していて、まるで「未来」をつくっているようにも見えます。それが、新しいけれどどこか懐かしい、やわらかなほほえみを映す庭をここにもたらしている理由かもしれません。
庭は船平さんの人柄を映しています。いじり過ぎたり、かっこつけたりすることなく、自然な想いでそこにいる植物の意見を確かめてゆくような姿勢が、植物達のありのままの姿を引き出しているのです。
この庭はこの先、私達にどんな景色を見せてくれるのでしょう。よろこびは続いていきます。
熊澤の庭師 船平 茂生(ふなひら しげお)
1972年生まれ。1998年茅ヶ崎でflowershop county開業。その直後に熊澤と出会う。2000年天青の造成工事でガーデニングに挑戦し、以来熊澤の施設は全て手掛けている。その後、東京に拠点を移し数々の商業施設やウェディングなどで活躍の幅を広げる。枠にとらわれず、大切なものを見失わない仕事ぶりは引く手あまたで、現在は横浜を拠点に全国を飛び回る日々。