醸造に使われたものたち
明治からお酒づくりを続けて150年が経とうとしています。酒造りの道具も技術の進歩とともに変化してきました。けれど当時使われていた道具も、醸造そのものには使われなくなっても、形を変えて生き続けているものがここには沢山存在しています。それを発見していただくことも愉しみのひとつ。今回ご紹介するのは、醸造に使われていた槽(通称:フネ)です。これは、伝統的な酒絞り機です。細長い船のような形なので蔵人はフネと呼びます。このフネ、船のような槽の部分とその上から圧力をかけて酒を絞るための蓋のような部分からなり、その両方が形を変えてあちこちにちらばっています。しかもフネとして使わなくなってから何度か形を変えているので、そのすべてを知っているのはもはや蔵元だけ。今回蔵元にその変遷の歴史を紐解いてもらいました。
最近のフネの行方で一番分かりやすいのが、敷地内のモキチトラットリアにある個室のテーブルです。長年の醸造の歴史が染み込んだ良い塩梅と趣は、個室の特別感にしっくり馴染みます。ここに宿る古道具の精霊たちのお陰か、会議などでここを使うと話が弾み良いアイディアも多数出るとか出ないとか。(因みに古道具の精霊とは、良い塩梅で醗酵した古道具たちの持つ、目に見えない説得力、エネルギーのようなものを私たちの間ではそのように表現しております。)
た、トラットリア1階の奥、ピザ窯の横にあるテーブル席の中に、穴の空いたテーブルがあるのですが、その板もフネの一部です。穴に棒を通して、圧力をかける板二枚でお酒を絞っていくためのものです。この席に座られた際は、道具の一部分だったからこその重みと年月の味わいを是非ご堪能下さい。
実はフネの槽の部分は、以前は庭にあった棟の上に設置されてもいました。ここが酒造であることを示すシンボリックなオブジェとしての役目を果たしていた時期もあったのです。
古道具はその姿形だけではなく、素材としての魅力も沢山詰まっています。時代が古ければ古いほど、ケミカルな素材は使われていません。木や金属も天然の純度の高い良いものが使われているのです。そしてそこには、道具を大切に使った人間の営みが降り積もってゆきます。それは一種の記憶装置のようなもの。薄っぺらな卓上の歴史ではなく、生身の体験が染み込んでいるのです。そういうものを簡単に捨てるのではなく救い上げ、愛でる。それは地球の記憶を閉じ込めた宝石を愛でることと、ちょっと似ていると思いませんか。
熊澤酒造を訪れたら、現代までに熟成してきた明治からの風をそのように感じて頂けたら幸いです。